
「空気を読む」をプロンプトとコンテキストで解剖する
AI に「来週の定例資料、いい感じにまとめといて」と頼むと、一般論だらけの整った 10 枚のレポートが返ってきます。部署を異動した直後の人に同じ頼み方をすると、チームの温度感をつかめないまま見当違いな資料ができあがります。どちらも、渡された言葉には正しく応えています。足りていないのは指示の書き方より、判断の材料になるコンテキストです。 日本の職場で「空気を読む」と呼ばれている行為をプロンプトとコンテキストに分解し、AI にも人にも伝わる依頼の組み立て方をまとめます。
「いい感じに」で起きる事故は、人間同士でも起きている
「いい感じに」で頼んで期待と違うものが返ってきたとき、AI の性能や相手の能力を疑いたくなります。ただ、同じ事故は人間同士でも起きています。
異動して数日しか経っていない人に、上司が「この資料、いい感じにまとめといて」と頼む場面を考えます。頼む側は、相手がチームの現状も業務のルールも理解している前提で依頼しています。受け取った側は、チームの暗黙の了解やノリを知らないまま、言葉どおりに資料を作ります。結果は見当違いになりますが、受け取った側がサボったわけでも、能力が低いわけでもありません。
AI に頼むときも構図は同じです。AI は世の中の一般知識を持っていますが、依頼者の会社のこと、業務のルール、前回の会議で何があったかは知りません。どちらの事故も、前提条件や目指している方向が相手に引き継がれていないことが原因です。
プロンプトとコンテキストは役割が違う
依頼を分解すると、「何をしてほしいか」と「判断するための材料」の 2 つに分かれます。前者がプロンプト、後者がコンテキストです。
| プロンプト | コンテキスト | |
|---|---|---|
| 中身 | 何をしてほしいか | 判断するための材料 |
| 例 | 「来週の定例資料をまとめて」 | なぜやるのか(目的)、これまでの経緯、誰が読むのか、守るべき制約、前回の失敗、相手の好み・温度感 |
| 欠けたときに起きること | 何を作ればよいか分からない | 作るものは分かるが、一般論で埋めるしかない |
「来週の定例資料をまとめて」というプロンプトだけでは、それがどんな定例なのか、誰が参加するのかが分かりません。定例の目的が営業成績の改善であること、これまでどんな商品をどう売ってきたか、資料を誰が読むのかを渡して初めて、その定例のための資料が作れます。同じプロンプトでも、渡すコンテキストが違えば返ってくるものは別物になります。
コンテキストはプロンプトの中に書き込んでも構いません。ファイルやフォルダにまとめておき、AI にそこを読みに行かせる方法もあります。どちらの場合でも、AI の手元に届いているかどうかが分かれ目です。
AI にとっては、コンテキストウィンドウの中がすべて
AI と人間は、指示を受けて動く点、コンテキストを判断材料にする点、ゴールに向けて出力する点で共通しています。違いは、言われていないことをどこから補うかにあります。
窓の外を参照できない AI
AI が判断に使えるのは、コンテキストウィンドウに入っている情報だけです。中に入るのは、システムプロンプト、これまでの会話、添付した資料、今回の指示です。依頼者の頭の中にある経緯、チームの暗黙のルール、部長の好みは窓の外にあり、AI にとっては存在しないのと同じです。しかも AI は会話のたびにまっさらな状態から始まります。
AI の出力は、統計的にもっともらしい言葉をつなげて作られます。そのため一般論で答えられる部分は 70〜80 点まで届きやすい一方、残りの 20〜30 点は、渡したコンテキストからしか埋まりません。 出力が一般論止まりになるとき、まず疑うのはコンテキストの不足です。
言葉の下にあるものまで読む人間
人間は、言葉になっていない層を無意識に参照して情報を補います。「いい感じにまとめといて」という一言の下には、たとえば次のような層があります。
| 層 | 頭の中にあること |
|---|---|
| 過去の経験 | 前回の資料は、こんな感じだった |
| 関係性 | この人は、いつも結論から聞きたがる |
| 組織文化 | うちの定例は、5 分で終わらせるもの |
| その場の空気 | 今期は、数字が厳しい |
長く一緒に働いている人ほど、この層が共有されています。だから「いい感じに」で通じます。異動直後の人や AI には、この層がまだ入っていません。
プロンプトからコンテキストへ移った重心
生成 AI が広まり始めたころは、「あなたは優秀な〇〇です」のような言い回しや指示の順番を工夫するプロンプトエンジニアリングが話題の中心でした。AI の精度が低く、人間が細かく指示して方向を固定したほうが結果が安定したためです。
今は AI が指示の意図をある程度くみ取れるようになり、指示をがちがちに固めるより、AI にある程度自由に動いてもらい、その範囲をコンテキストで守るやり方が主流になっています。何を「書く」かより、目的・背景・経緯・参照すべき資料・制約・過去の判断といった何を「渡す」かで差がつきます。考え方の全体像は コンテキストエンジニアリング で解説しています。
「空気を読む」は、暗黙のシステムプロンプト
ここまでの話を人間側に戻すと、「空気を読む」の正体が見えてきます。空気を読むとは、人間が無意識に走らせている暗黙のシステムプロンプトです。
システムプロンプトは、AI が毎回の判断の前に常に参照する前提です。同じ組織に長くいる人の頭には、日々の会話、上司や部下とのやり取り、チャットツールでのメッセージを通じて、同じ前提が少しずつインストールされていきます。同じチームの中で「いい感じに」が通じるのは、このシステムプロンプトが共有されているからです。新しく来た人や AI には、それがまだ入っていません。
人間界の言葉を AI の言葉に置き換えると、次のように対応します。
| 人間界の言葉 | AI の言葉 | 中身 |
|---|---|---|
| 暗黙知・社風・「うちのやり方」 | システムプロンプト | 毎回の判断の前に、常に効いている前提 |
| これまでの経緯・共有された記憶 | コンテキストウィンドウ | 今この瞬間に参照できる情報の範囲 |
| 「言わなくてもわかるよね」 | 書かれていない前提条件 | 渡したつもりで、渡っていない情報 |
| 察する・空気を読む | 推論による補完 | 足りない部分を、もっともらしく埋める |
AI も、足りない部分は推論でもっともらしく埋めます。人間が空気を読むのと同じことを、AI はコンテキストウィンドウの中だけでやっています。
事故が起きるのは、この「言わなくてもわかるよね」の行です。頼む側の頭の中には、会議の目的、本当の読み手、締切の理由、前回の失敗、ちょうどいい粒度、NG な表現が揃っています。ところが相手に届くのは「今回の指示」だけです。省略していることに、頼んだ本人は気づいていません。
依頼をプロンプトとコンテキストに分けて渡す
省略に気づくための手順は、AI に頼むときも人に頼むときも同じです。まず「言わなくてもわかる」を疑い、次に依頼を分けて書きます。
頼む前に「言わなくてもわかる」を疑う
出力を頼む前に、相手の手元に何が入っているかを次の 3 点で確かめます。
- 相手は、ここまでの経緯を知っているか: 知らないなら、それはコンテキストとして渡す
- 何をしたら失敗なのか、伝えたか: NG は、言わない限り相手には見えない
- 誰が、何のために使うものか、伝えたか: 読み手と目的で、正解の形は変わる
自分の頭の中から考えるのをやめ、相手の窓に何が入っているかから逆算すると、抜けている情報が見つかります。
プロンプト 2 項目とコンテキスト 4 項目に分ける
依頼は、プロンプト側の「役割」「期待成果」と、コンテキスト側の「目的」「経緯」「読み手」「制約」に分けて書きます。
| 区分 | 項目 | 書くこと |
|---|---|---|
| プロンプト | 役割 | 何者として動いてほしいか |
| プロンプト | 期待成果 | 何が返ってくれば「完了」か |
| コンテキスト | 目的 | なぜやるのか、何を決めたいのか |
| コンテキスト | 経緯 | これまで何があったか、前回どうだったか |
| コンテキスト | 読み手 | 誰が、どんな場面で使うのか |
| コンテキスト | 制約 | 守るべき条件、やってはいけないこと |
抜けると事故につながるのはコンテキスト側の 4 項目です。最初に試すなら、この 4 項目だけで構いません。
同じ依頼にコンテキストを足すと、こう変わる
冒頭の「来週の定例資料」の依頼に、コンテキストを足してみます。まず、コンテキストがゼロの依頼です。受け手がすべて推測で埋めることになります。
TEXT
来週の定例資料、いい感じにまとめといて。同じ依頼をプロンプトとコンテキストに分けると、次のようになります。
TEXT
■ プロンプト【役割】部長の判断材料をつくる担当として【期待成果】1 枚目で「結論・金額・理由」がわかる資料■ コンテキスト【目的】来週の定例で、Q4 の追加予算を通すか決めたい【経緯】前回は資料が長すぎて、結論が出なかった【読み手】部長。結論から先に聞きたいタイプ【制約】3 枚以内。数字は先月の確定値のみ指示そのものは 2 行のままで、足したのはコンテキストの 4 行だけです。経緯に「前回の資料」と書いたなら、その資料も添付します。読み手について書く欄では、実名の代わりに「A さん」のようなイニシャルを使えば、個人情報を渡さずに人物像だけを伝えられます。AI に渡してよい情報の範囲は、会社のルールが前提です。 判断がつかないときは、上長や情報管理の担当者に確認してから渡します。
音声入力で渡したコンテキストは整えるべきか
コンテキストを書き出すのが手間なら、音声入力で話して渡す方法もあります。このとき、整形していない文字起こしのままでも品質に差は出ないのか、という質問をもらいました。
条件によりますが、今の AI であれば、文字起こしレベルの文章でも大きな品質差は出にくいと考えています。ただし、誤変換で漢字が崩れたり文の区切りが分からなくなったりしているほど乱れていると、さすがに差が出ます。どこまでなら差が出ないかは、自分の業務の素材で試して確かめるのがいちばん確実です。まず整形せずに渡し、出力を見て読み取れていない箇所があれば、そこだけ整えて渡し直します。
材料を集める先や、AI に参照させる置き場の作り方は プロンプトより先に、AI に渡す材料を揃える で、会議の発言をそのまま AI のインプットにするときの話し方は AI が議事録を書く時代は、会議で結論から話す で紹介しています。
まとめ
明日からできることは次の 3 つです。
- 依頼の前に、相手の窓に何が入っているかを考える: 自分の頭の中ではなく、相手の手元にある情報から逆算する
- 指示を磨く前に、目的・経緯・読み手・制約を渡す: 言い回しの工夫より、コンテキストを 1 つ足すほうが出力は変わりやすい
- 「察してくれなかった」を「渡せていなかった」と読み替える: 相手の能力の問題として片付けず、コンテキストの問題として振り返る
AI が期待どおりに答えないとき、AI の性能を疑う前に、自分が渡した情報を疑ってみてください。AI は、渡された情報の範囲で精一杯答えています。人に気を配るのと同じように AI にも気を配ると、返ってくるものが変わります。
伝わるかどうかを決めるのは、言葉の巧さより、渡したコンテキストです。AI は空気を読まないからこそ、私たちが普段省略していたものを映し出します。AI を学ぶことは、人間同士のコミュニケーションをメタ認知することでもあります。
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